🚪 サラリーマン8 — 410万円で17年を売った男
1963年生まれ、1985年に東亜電機へ入社。同期1,180人。45歳で課長になり、次長には届かなかった。2011年、48歳のときに希望退職の募集が出て、応募した。受け取ったのは約2,600万円である。厚生労働省の統計では、従業員1,000人以上の企業で大卒管理職・勤続20年以上・45歳以上の早期優遇退職の1人平均は2,601万円、定年退職は2,191万円。割増は410万円しか増えていない。その410万円と引き換えに、彼は48歳から65歳までの17年分の給与を手放した。半年の無職を経て入った従業員80人の部品商社で、年収は850万円から430万円になった。2026年8月現在63歳、年収410万円。彼はいまも、あれは自分で選んだのだと言っている。応募の1週間前に上司から「今回、対象に名前が入っている」と個別に言われていたことを、妻にも言っていない。
🚪 この記事は何か — 410万円で何を買ったのかという話
このセクションの4点
① 早期優遇退職の1人平均退職給付額は2,601万円、定年退職は2,191万円(厚労省 令和5年就労条件総合調査・1,000人以上規模・大卒管理職・勤続20年以上・45歳以上)。割増は410万円しか多くない
② 岡部昭夫はその410万円を2011年・48歳で選び、48歳から65歳までの17年分の給与を手放した。前提を置いて計算すると、生涯の受取総額の差は約5,300万円になる
③ 厚労省「令和6年雇用動向調査」では45〜49歳男性の転職は増加46.4%・減少23.8%で、増加が22.6ポイント上回る。48歳は平均では賃金が上がる年齢である。それでも彼の年収は850万円から430万円になった
④ そして最大の問題は、早期退職に応募した人がその後どうなったかを追跡した公的統計が日本に存在しないことである
プロローグ
岡部 昭夫2026年8月・六十三歳
この十五年、私は同じことを言い続けている。あれは自分で決めたことです、と。
嘘は言っていない。応募の書類に判を押したのは私の手である。会社は私を解雇していない。退職の記録も、そういう区分になっている。誰に確認してもらっても、私の言い分は正しい。
ただ、一つだけ言っていないことがある。募集が出る一週間前、閉まっている食堂で部長に言われた。今回、対象に名前が入っている、と。それだけである。辞めろとは言われていない。
妻にも、子どもにも、言っていない。言えば、私が辞めたのは会社が決めたことになる。言わなければ、私が決めたことになる。
六十三になった。いまだに、どちらだったのかを確かめる方法が無い。
このシリーズの登場人物
登場人物 — 名前をクリックすると、その人の言葉が開きます
🏢 1. 田村 稔 中央値型 — 勝ちでも負けでもない 1970年入社・同期820人/到達=次長(上位17%)。部長には届かなかった
生涯賃金 約2億1,400万円/2035年・87歳没。要介護7年 記事を読む → 開く ▾
静岡の農家の次男で、家を出るしかなかった。入社の日、駅で父が黙って万年筆をくれた。パイロットの、安いやつだ。定年の日まで机の引き出しにあった。
玄関の柱に子どもの背を刻んだ線がある。健一の線は一九九三年で止まっている。
四十二で課長になった年が、いちばんよかった。まあ、そういうもんだ。
🖋️ 2. 北原 誠一 出世型 — 同期820人で3人 1970年入社・同期820人(田村と同期)/到達=取締役(0.4%)→ 子会社社長
生涯賃金 約4億9,000万円/2037年・89歳没 記事を読む → 開く ▾
入社式で隣に座ったのが田村だった。同じ大学を出て、同じ日に辞令を受け取った。私の紙には本社人事部と書いてあり、彼の紙には神奈川工場と書いてあった。
二〇〇二年、転籍のリストに彼の名前があった。私は手を止めて、判を押した。震えはしなかった。
それは、そういう仕組みだ。
🔧 3. 柴田 正三 停滞型 — 係長のまま28年 1958年入社・高卒技能職340人/到達=係長(30歳)。そこから28年動かず
生涯賃金 約1億4,900万円(田村の約7割)/2032年・92歳没。要介護1年2ヶ月・自宅で 記事を読む → 開く ▾
新潟から出てきて、旋盤の前に立った。二十二で試験に受かって技術職になった年を、私は二度目の入社と呼んでいる。ノギスはそのとき自分で買った。
三十で係長になった。同期でいちばん早かった。そのあと二十八年、何も動かなかった。課長の椅子が空いたとき、座ったのは大卒の三十四だった。
寸法は合っとる。
✈️ 4. 森 康彦 単身赴任型 — 通算14年、家にいなかった 1980年入社・同期940人/到達=部長(47人/940人=5.0%)
生涯賃金 約2億9,600万円/2026年8月現在68歳・存命 記事を読む → 開く ▾
福岡、広島、名古屋、バンコク。四回出て、合わせて十四年、家にいなかった。断れた回もある。断らなかった。
帰るたびに家のルールが少し変わっていた。茶碗が食器棚の奥に移り、鍵が替わり、私の部屋が息子の部屋になった。帰任したら食卓の椅子が三脚しか出ていなかった。
まあ、なんとかなる。あれは必要な十四年だった。
🏠 5. 中村 正巳 家庭優先型 — 転勤を断った(#4の対照群) 1980年入社・同期940人(森と同期)/到達=課長(286人/940人=30.4%)
生涯賃金 約1億8,600万円(森の63%)/2026年8月現在68歳・存命 記事を読む → 開く ▾
一九九六年、九州支店の課長への内示を断った。妻の母が倒れて、代わりが立たなかった。三日考えて、手順を全部書き出して、代わりの立たない箇所が一つ残った。それだけの話だ。
断ったのは一回きりだ。二度目は聞かれなかった。介護は三年で終わったが、そのあと十九年、話は来なかった。
家族はこのことを知らない。言うことでもない。それでいい。
🫀 6. 谷口 健一 健康維持型 — 変数は45歳の一点だけ(対照実験) 1980年入社・同期940人(中村と同期・生涯賃金差300万円)/到達=課長。中村とほぼ同じ経路
生涯賃金 約1億8,900万円/2026年8月現在67歳・存命/推計87歳没・要介護1年半 記事を読む → 開く ▾
私の最初の指導係は田村さんだった。図面は嘘をつかん、と教わった。あの言葉は柴田さんから田村さんに渡ったものだと、後で知った。
二〇〇三年、同じ部署の柏木さんが心筋梗塞で倒れて、戻ってこなかった。数日後、机が片付けられていた。私はそれを自分の席から見ていた。翌月から煙草をやめて、朝三十分歩き始めた。
理由を聞かれても、続けとるだけですとしか答えない。
🌥️ 7. 高梨 実 メンタル離脱型 — 3ヶ月休んで、戻る場所が無かった 1985年入社・同期1,180人/到達=課長 → 53歳で自己都合退職
生涯賃金 約1億9,800万円(65歳時の資産は7人中最下位)/2026年8月現在63歳・週4日勤務中 記事を読む → 開く ▾
二〇〇八年の十月、月次の締めで数字が合わなかった。三度やり直しても合わなかった。合わないのは、自分の入力だった。
三ヶ月休んだ。制度は全部あった。復職もできた。ただ、戻る席が無かった。応援という名前の出向が、期限を書かれないまま七年続いた。
誰も私を辞めさせていない。帳尻は合います。
🚪 8. 岡部 昭夫(この記事の主人公) 早期退職型 — 410万円で17年を売った 1985年入社・同期1,180人(高梨実と同期)/到達=課長。次長には届かなかった/2011年・48歳で希望退職に応募
生涯賃金 約9,000万円(前提つき試算・田村の約42%)/受取 約2,600万円/2026年8月現在63歳・部品商社(従業員80人)・年収410万円 開く ▾
募集が出る一週間前、閉まっている食堂で部長に言われた。今回、対象に名前が入っている、と。それだけである。辞めろとは言われていない。
三週間、封筒を鞄に入れて出勤して、持ち帰った。二十一回出さなかった。二十二回目に出した。
あれは自分で決めたことです。十五年、そう言っている。妻には、あの面談のことを言っていない。
✈️ 9. 黒木 洋一 転職型 — 生涯賃金では勝った 1988年入社・同期1,240人(宮田徹・相原修司と同期)/到達=東亜電機では係長 → 2010年44歳で外資へ/外資で部長級
生涯賃金 約2億4,000万円(田村稔 約2億1,400万円を上回る)/ピーク年収1,380万円/2026年8月現在60歳・業務委託・年収420万円(ピークの約30%)/退職金ほぼ無し 記事を読む → 開く ▾
二〇一〇年、課長の内示が同期の別の人間に出たと聞いた。能力の差だとは思わなかった。あいつのいた部署は、その年に課長が定年になっていた。それだけである。
翌週、転職の登録サイトを開いた。六百九十万だった私が、隣の会社では千百五十万になった。あれが自分の値段だと思った。
今なら言える。あれは私の値段ではない。あの事業が伸びていた年の、あの会社が払えた額である。
⏳ 10. 相原 修司 詰まり型 — 30年待って、3年だけ課長 1988年入社・同期1,240人(宮田徹・黒木洋一と同期)/到達=課長(52歳で就任)→ 55歳で役職定年。課長でいられたのは3年
生涯賃金 約2億800万円(田村稔の約97%)/2026年8月現在60歳・役職なし・年収580万円/2031年65歳定年・通算43年 記事を読む → 開く ▾
二〇一〇年、黒木に一緒に受けてみないかと誘われた。子どもがまだ小さいから、と断った。上の子は中学二年である。小さくはない。
本当は、外で自分の値段がつくのが怖かった。会社の中にいれば、私の価値は係長という文字で表される。誰も金額では言わない。
三十年待って課長になった。辞令の紙には、三年後に返す日付が最初から入っていた。妻には言っていない。
🏛️ 11. 森田 克彦 公務員型 — 最も揺れなかった/唯一の非民間 1975年・23歳で国家公務員採用(行政職俸給表(一))/到達=課長(45歳)。そこから15年、級は動かなかった
生涯賃金 約2億2,900万円(田村稔 約2億1,400万円を上回る)/ピーク年収1,050万円/2012年60歳で定年→再任用→2017年65歳で終了/2026年8月現在74歳・年金で生活が成立 記事を読む → 開く ▾
採用の日に給料表を見せられた。あなたはここです、と指をさされて、上に行くとこうなります、と指を動かされた。安心したのは、その表に「景気」という欄が無かったからである。
二十八のとき、妻になる人に同じ紙を見せた。これって上がらないこともあるの、と聞かれて、無い、と答えた。五十のとき、号俸は上がっているのに年収が減った。表そのものが下がっていた。
四十六年たつが、二十八のときの説明を、私はまだ訂正していない。
🪑 12. 藤井 亮太 氷河期・正社員型 — 内定は1社だけだった 1996年入社・同期290人(シリーズ最少。1988年入社1,240人の約23%)/到達=課長(58人/290人=20.0%)。到達は42歳
生涯賃金 52歳時点の累計 約1億2,600万円/48年働く見込み/2026年8月現在52歳・課長・年収860万円/2029年55歳で役職定年 記事を読む → 開く ▾
三十年、誰にも言っていないことがある。私の内定は、一社だけだった。妻にも同期にも言っていない。言えば、私の三十年の説明が変わるからである。
二〇〇八年の十二月、部長に「一階、どこから減らせる」と聞かれた。どの工程が余っているかは、私がいちばん正確に知っていた。私は、本社が決めることです、と答えた。
十年ポストが動かなかったという話と、自分が選ばれて入ったという話を、私は一度も同じ机の上に並べたことがない。
🕰️ 13. 宮田 徹 在職死亡型 — 定年に着かなかった 1988年入社・同期1,240人(シリーズ最多)/到達=次長(112人/1,240人=9.0%)
生涯賃金 約1億6,200万円(33年4ヶ月で終わった)/2021年8月・55歳で在職死亡 記事を読む → 開く ▾
私の最初の指導係は森さんだった。三日目に見積書を突き返された。これは誰が読む、と聞かれて、お客さんです、と即答した。違う、最初に読むのはうちの経理だ、と言われた。
それから三十三年、相手の背後にいる人間の顔を先に読んで生きた。その才能で次長になった。同じ才能で、この会社を一度も疑わなかった。
この病室は九時に電気が消える。会社にいた頃、九時はまだ夕方だった。
🧊 14. 大野 修 氷河期・非正規型 — 名簿に一度も載らなかった 1996年3月・国立大学卒/内定ゼロ(大卒求人倍率1.08倍)。正社員になったことが一度もない/到達=到達なし。アルバイト7年 → 製造派遣4年半 → 契約社員
生涯賃金 52歳までの累計 約7,900万円(藤井の63%・田村の生涯賃金の37%)/2026年8月現在52歳・契約社員・年収290万円/年金見込み月7〜8万円台 記事を読む → 開く ▾
二十二の春に、三十七通の不採用通知を受け取った。理由はどれにも書いていなかった。同じゼミの藤井は一社受かった。一社だけだったと知るのは、ずっとあとである。
二〇〇四年から二〇〇八年まで、神奈川の工場にいた。柴田さんが旋盤を教え、田村さんが図面を引いた建物だ。あの三人は名簿に載っている。私は載らない。派遣だからである。
名簿から消えるためには、まず載っていなければならない。
🌗 15. 矢部 直子 均等法第一世代 — 23.9%の側にいた/シリーズ唯一の女性 1986年4月・均等法の施行と同月に総合職入社。同期の総合職女性は4人/到達=課長(44歳)→ 次長(56歳)/38年間、一度も辞めていない
生涯賃金 約1億7,900万円(大卒女性の生涯賃金は全国推計で男性の78.4%・差7,080万円)/2024年60歳で定年→再雇用/2026年8月現在62歳・年収480万円 記事を読む → 開く ▾
一九九〇年に一人目を産んだとき、就業規則を二回読んだ。一回目は、見落としたのだと思ったからである。産前産後の休業は書いてあった。その先が無かった。
三ヶ月で戻った。三ヶ月にした理由は、体調でも家庭の事情でもない。それ以上休む根拠が、どこにも書いていなかったからである。育児休業法が公布されたのは、その翌年だった。
制度が無いというのは、休めないという意味ではなかった。休んだあと、元に戻す手続きが無いという意味だった。
名前をクリックすると、その人物の言葉が開きます。岡部昭夫は7. 高梨実と同期です(1985年入社・同期1,180人)。2人とも課長で止まり、2人とも定年に着いていません。降り方だけが違います。
この記事が置く問い
早期退職・希望退職という言葉には、多くの場合「割増退職金」がついて回る。上乗せがあるのだから、条件としては有利に見える。実際、厚生労働省の統計でも、早期優遇退職の退職給付額は定年退職を上回っている。
この記事は、その上乗せがいくらなのかを最初に出す。そして、その上乗せと引き換えに何が渡されているかを計算する。
2,601万円
早期優遇退職の1人平均(1,000人以上・大卒管理職・勤続20年以上・45歳以上)
2,191万円
同・定年退職の場合
+410万円
早期優遇が定年退職を上回る額
−約5,300万円
生涯の受取総額の差(前提つき・第11章で計算する)
📎 解説:410万円という上乗せの正体
厚生労働省「令和5年就労条件総合調査」第37表によれば、従業員1,000人以上の企業で、大卒・管理職・勤続20年以上・45歳以上の退職者の1人平均退職給付額は、早期優遇退職2,601万円、定年退職2,191万円、自己都合退職1,928万円である。
ここから2つのことが読める。①早期優遇は自己都合より673万円多い。だから「自分から辞める」なら、募集が出ているときに手を挙げるほうが有利である。②早期優遇は定年退職より410万円しか多くない。定年まで勤めた人も、48歳で降りた人も、受け取る退職金はほぼ同じ水準である。
違うのは、その退職金を受け取るまでに何年働き、いくら給与を受け取ったかである。定年退職の2,191万円は65歳まで働いた人の額、早期優遇の2,601万円は48歳で辞めた人の額であり、この2つの数字は同じ土俵に並んでいない。
注: これらは平均であって中央値ではなく、分布は本表からは読み取れない。退職一時金と退職年金現価額の合計であり、また早期優遇退職を実施する企業自体が少数のため、この調査年固有のブレの可能性がある。
📎 この記事が「やらないこと」
①岡部を憐れまない。2026年現在63歳、年収410万円で働いている。この記事に「可哀想」と書かれる場面は一度も無い。
②会社を悪者にしない。希望退職の募集は制度として適法に行われ、応募しない選択肢は存在した。上乗せも支払われている。
③「早期退職は損だ」という結論を出さない。第11章の計算は前提を置いた試算であり、前提が変われば結果が動く。とりわけ、応募しなかった場合に65歳まで在籍できたという保証はどこにも無い。
④彼の言い分を嘘だとしない。「自分で決めた」は制度上正しい。この記事が指摘するのは、面談の後の選択が、面談の前の選択と同じ意味を持たないという一点だけである。
そしてこの記事には、他の15人分の記事に無い結び方がある。岡部の判断が正しかったかどうかを、日本は統計として検証していない。
厚生労働省「雇用動向調査」も総務省「労働力調査」も横断調査であり、特定の個人を追跡するパネル調査ではない。早期退職に応募した人がその後どうなったかを継続的に追った公的統計は、今回の調査範囲では確認できなかった。民間の再就職支援会社が公表する「8割が再就職」といった数値は自社の支援実績の集計であり、このシリーズは出典が私企業の自社集計である数値を基軸に使わない。
毎年1万人前後がこの選択をしている。その人たちがどうなったかを、社会は数字で持っていない。最終章でそこに戻る。
まず答えから出す。割増は410万円で、手放したのは約5,300万円である。
⚖️ 【答え】割増は410万円。手放したのは約5,300万円
このセクションの3点
① 岡部昭夫が2011年に希望退職で受け取った約2,600万円は、厚労省統計の「1,000人以上企業・大卒管理職・勤続20年以上」の早期優遇退職給付額2,601万円に一致させてある。同条件の定年退職者の平均は2,191万円で、差はわずか410万円しかない
② その410万円と引き換えに、岡部は48歳から65歳までの17年分の給与・退職金の差を手放している。前提を置いた試算(Section 11で詳述)では、応募しなかった場合の生涯合計は約1億4,341万円、実際の合計は約9,000万円で、差は約5,300万円になる
③ ただしこの試算には前提がある。65歳まで在籍できた保証は無いこと、そして岡部の再就職先(部品商社)に退職金制度があるかどうかは本記事では未確定であること。この2点で結論は動く
| 退職事由 | 1,000人以上企業 | 企業規模計 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 早期優遇退職 | 2,601万円 | 2,266万円 | 岡部が2011年に受け取った約2,600万円はこの数値に一致させてある |
| 定年退職 | 2,191万円 | 1,896万円 | 早期優遇との差=+410万円(1,000人以上ベース) |
| 自己都合退職 | 1,928万円 | 1,441万円 | 早期優遇との差=+673万円(1,000人以上ベース) |
📎 解説:割増410万円は「上乗せ」ではなく、17年分と引き換えの金額
厚生労働省「令和5年就労条件総合調査」第37表によると、勤続20年以上かつ45歳以上・大卒管理職・従業員1,000人以上企業という条件で、早期優遇退職者の1人平均退職給付額は2,601万円、定年退職者は2,191万円である。差は410万円しかない。
岡部が2011年、48歳で受け取った額はこの2,601万円に一致させてある。彼が実際に手放したのは、この410万円ではなく、48歳から65歳までの17年間、この会社で働き続けた場合の給与と、65歳で定年退職した場合の退職金との差である。その計算はSection 11で式を全部見せる。
📎 生涯収支の概算 — A案(応募せず65歳まで)とB案(実際)
A案(2011年に応募せず65歳まで勤めた場合): 給与の合計 約1億2,150万円+定年退職金2,191万円=約1億4,341万円。
B案(実際に2011年に応募した場合): 受取2,600万円+2012〜2026年の給与合計 約6,400万円=約9,000万円。
差は約5,300万円。割増で得た410万円は、この差の8%にも満たない。
🚫 この結論には前提がある(崩れれば数字も動く)
・応募しなかった場合に65歳まで在籍できたという保証は無い。A案はあくまで「制度通りに勤め上げられたら」という仮定である
・岡部の再就職先(部品商社・従業員80人)に退職金制度があるかどうかは、本記事では未確定である。この一点でB案の合計は変わる
・役職定年での減額幅や、商社での在籍年数など、他の前提が変わればA案・B案双方の数字は動く
→ 次のSection 3では、岡部の年収を1985年の入社から2026年の現在まで、表で追う。
💴 年収41年 — 2011年で線が切れて、低い位置で水平になる
このセクションの3点
① 岡部の年収は1985年入社時290万円から2008年課長時830万円まで上昇したが、2011年・48歳で希望退職に応募して以降は430万円前後で15年間ほぼ水平に推移し、2026年現在410万円である
② 同じ1985年入社・同期1,180人の高梨実(生涯賃金 約1億9,800万円)と比べても、岡部の見込み合計(約9,000万円)はすでに大きく下回る水準にある
③ 43年間勤め上げた田村稔(生涯賃金 約2億1,400万円)と比べると、岡部の見込み合計はその約42%にあたる
| 西暦 | 年齢 | 立場 | 年収 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1985 | 22歳 | 平社員 | 290万円 | 同期1,180人 |
| 1995 | 32歳 | 主任 | 560万円 | |
| 2003 | 40歳 | 係長 | 690万円 | |
| 2008 | 45歳 | 課長 | 830万円 | |
| 2011 | 48歳 | 希望退職に応募 | 850万円 →(退職) | 受取 約2,600万円 |
| 2012 | 49歳 | 部品商社(従業員80人) | 430万円 | 半年の無職を経て |
| 2020 | 57歳 | 同(課長待遇なし) | 440万円 | |
| 2026 | 63歳 | 同 | 410万円(現在) | 65歳以降の再雇用は未定 |
この年収表は1985年から2026年まで、すべて実績である。藤井亮太(サラリーマン12)の年収表と違い、岡部の表には「見込み」の区間が無い。すでに63歳であり、2011年の希望退職から15年が経過しているためである。
グラフに描けば、1985年から2008年までは右肩上がりの線であり、2011年で一度切れて、430万円前後の低い位置で15年間、ほぼ水平になる。65歳以降の再雇用が続くかどうかだけが、まだ決まっていない。
岡部・高梨・田村 — 3者比較
| 人物 | 生涯賃金(相当時点の見込み合計) | 備考 |
|---|---|---|
| 岡部昭夫(本記事の主人公) | 約9,000万円 | 2011年・48歳で早期退職 → 2026年現在63歳まで(Section 11で算出) |
| 高梨実(#7・53歳で自己都合退職) | 約1億9,800万円 | 1985年入社・同期1,180人。65歳時点の資産は7人中最下位 |
| 田村稔(#1・43年間勤務) | 約2億1,400万円 | 1970年入社・同期820人。岡部の見込み合計はこの約42%にあたる |
📎 解説:2人とも「課長」に届いて、2人とも定年に着いていない
岡部と高梨実は同じ1985年入社・同期1,180人であり、どちらも課長まで到達している。違うのは、そこから先の降り方である。岡部は48歳で自ら希望退職に応募して降りた。高梨は課長のまま2008年に3ヶ月休職し、戻る席が無いまま期限の書かれない出向が7年続き、53歳で自己都合退職した。
方法が違うだけで、2人とも定年に着いていない。この対比はSection 12で年表を左右に並べて詳しく見る。
→ 次のSection 4では、岡部昭夫という人物の設定と、希望退職という制度がどれだけの規模で動いているかを見る。
👤 岡部昭夫という人物と、希望退職という制度の規模
このセクションの3点
① 岡部昭夫は1963年生まれ、1985年4月に東亜電機に同期1,180人の1人として入社し、課長まで到達した(次長には届かなかった)。2011年、48歳で希望退職の募集に応募した
② 岡部が応募した2011年より2年前の2009年、上場企業の早期・希望退職の募集規模はリーマン・ショック後のピークに達し、東京商工リサーチの集計で191社・22,950人(2000年以降で最多)に達していた
③ ただしこの集計は「上場企業」かつ「適時開示等で募集の具体的内容が確認できたもの」に限られる。非上場企業・中小企業の早期退職はここに含まれていない
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 氏名 | 岡部 昭夫(おかべ あきお)/モデル人物・仮名 |
| 生年 | 1963年(昭和38年) |
| 入社 | 1985年4月・東亜電機・同期1,180人(#7 高梨実と同期) |
| 到達 | 課長。次長には届かなかった |
| 転機 | 2011年、48歳。希望退職の募集に応募した |
| 受け取った額 | 約2,600万円(退職一時金+割増。統計の平均値に一致させてある) |
| 再就職 | 半年後、従業員80人の部品商社。年収850万円 → 430万円(約半減) |
| 家族 | 妻・子2人(当時 大学2年と高校2年)。教育費のピークと重なっている |
| 2026年8月現在 | 63歳・同じ部品商社に在籍・年収410万円 |
早期・希望退職の募集規模 — 東京商工リサーチの集計
| 年 | 募集企業数 | 対象人数 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 2009年 | 191社 | 22,950人 | リーマン・ショック後のピーク。TSR集計で2000年以降最多 |
| 2010年 | 85社 | 未取得 | |
| 2023年 | 41社 | 未取得 | |
| 2024年 | 57社 | 10,009人 | 3年ぶりに1万人超 |
| 2025年11月10日時点 | 41社 | 11,045人 | 2024年通年を1,000人以上上回る |
📎 この集計の限界(必ず読んでほしい)
この表は上場企業に限られる。東京商工リサーチが集計しているのは「上場企業」かつ「会社情報に関する適時開示資料等で募集の具体的内容が確認できたもの」だけであり、東亜電機のような非上場・中小規模の企業の早期退職はここに含まれていない。岡部の勤務先が実際にこの集計に含まれていたかどうかは分からない。この表は、岡部が応募した2011年の前後に、日本全体でどれだけの規模の希望退職が動いていたかの目安として置いている。
また、2009年・2010年の数値は東京商工リサーチの原資料PDFそのものではなく、複数の報道記事からの引用(二次情報)である。原資料での再確認はできていない。「対象人数」の集計基準(国内のみか海外拠点を含むか)も年によって表記が異なるため、単純な時系列比較には注意が必要である。
この表の数字は、Section 2・Section 11で使う「退職給付額」(厚労省・就労条件総合調査)とは別の調査である。東京商工リサーチの集計は「何社が、何人を対象に募集したか」という件数・人数の統計であり、「1人あたりいくら受け取ったか」という金額の統計ではない。この記事では両者を混同しないよう、出典を毎回明記する。
→ 次のSection 5では、1985年の入社から2008年の課長昇進までを追う。
🏢 1985-2008 — 課長までは行った。次長には届かなかった
このセクションの3点
① 1985年入社、同期1,180人。22歳・平社員290万円から、2008年に45歳で課長・830万円まで上がったが、そこで止まった。
② 同期1,180人という多い代では、課長より上のポストの数は増えない。座れる椅子の数が変わらないまま、座りたい人数だけが多い状態だった。
③ 課長止まりの理由を、岡部は「自分は現場を選んだ」という言い方で処理し、次長に届かなかったこと自体は口にしない。
| 西暦 | 年齢 | 立場 | 年収 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1985 | 22 | 平社員 | 290万円 | 同期1,180人で入社。高梨実(#7)と同期 |
| 1995 | 32 | 主任 | 560万円 | |
| 2003 | 40 | 係長 | 690万円 | |
| 2008 | 45 | 課長 | 830万円 | 課長止まり。次長には届かず |
📎 解説:23年で290万円→830万円。しかし課長で止まる
1985年に22歳・290万円で入った岡部の年収は、2008年に45歳・830万円になっている。23年で2.86倍。ここまでの昇給・昇格の速度自体は、シリーズの他の人物と比べて特に遅くはない。
比較としてサラリーマン12・藤井亮太を置く。藤井が課長になるのは2016年・42歳で、藤井の代は同期290人である。岡部は45歳、藤井は42歳。年齢はほぼ同じだが、同期の人数は1,180人と290人で4倍違う。
課長・次長・部長という役職の数は、会社の規模で決まっていて、同期の人数に比例しては増えない。同期1,180人の代では、課長までは順番が回ってきても、その先の椅子は絶対数として足りなくなる。岡部が次長に届かなかった一因は、能力の問題である前に、彼が生まれた年の入社人数がそのまま反映された結果でもある。
1985年。二十二歳。入社した年。
岡部 昭夫1985年・二十二歳
入社式は、地方の体育館を借りてやった。1,180人が横に並んでも、端から端までは見えなかった。名前を呼ばれる人間の数が多すぎて、自分の名前がどのあたりで呼ばれたのかも、正直よく覚えていない。
配属が決まったとき、同じ課に大学の同級生が2人いた。それだけで安心した。1,180人の中で、顔を知っている人間が2人いるというのは、当時の自分にとって大きな数字だった。
当時の私は、この人数の多さを、活気があるということだと思っていた。今の私には言える。あれは活気ではなく、この先ずっと続く順番待ちの列の、いちばん長い部分だった。
📎 解説:1,180人という代に生まれた意味
同期1,180人は、このシリーズに登場する人物の中で最も多い代の一つである。サラリーマン13・宮田徹(1988年入社1,240人)に次ぐ規模で、高梨実とはまったく同じ1,180人の同期になる。
入社時点でこの人数は、22歳の岡部には「会社の勢い」に見えていた。だが会社の役職の数は毎年一定のペースでしか増えない。1,180人が一斉に階段を上ろうとすれば、上のほうの段ほど渋滞は激しくなる。この渋滞の終着点が、45歳・課長で止まった彼の到達点である。
2008年。四十五歳。課長になった、その日。
2008年・四十五歳
「岡部くん、次から課長でいってもらう」
部長からそう言われたのは、8月の異動の内示だった。係長を5年やった後の昇格だった。妻には帰ってすぐ伝えた。子どもたちにも伝えた。その晩は、近所の店で少しだけ良い肉を焼いた。
その半年後、2年上の代から次長が2人出た。自分の代からは、その年、次長は出なかった。次の年も出なかった。同期の中で課長になった人数は多かったが、そこから先に進んだ人数は、驚くほど少なかった。
当時の私は、それを「自分の番はまだ先だ」というふうに理解していた。今の私には言える。あれは「先」ではなく「無い」だった。1,180人という代の大きさは、課長という椅子までは押し出してくれたが、次長という椅子の前で、私を含めた大勢を、そのまま止めた。
📎 解説:「まだ先だ」という理解の使い方
岡部が次長に届かなかったことについて、本記事で新たに統計を発明することはしない。ここで確認できるのは、課長昇進(45歳)と同期の規模(1,180人)という、すでに示した数字だけである。
岡部が当時とった処理は、「まだ先の話」として時間の軸に問題を先送りすることだった。この処理は、期限を区切らない限り何年でも続けられる。実際、彼がこの理解を手放すのは、2011年に希望退職の対象として名前を挙げられた時であり、それまでの3年間、「まだ先」という言い方はそのまま維持されている。
→ 次のSection 6では、2011年、上司から個別に告げられた一言を扱う。「まだ先だ」という理解が終わった日である。
📄 2011年、応募の1週間前 — 「今回、対象に名前が入っている」
このセクションの3点
① 希望退職の募集が出る1週間前、岡部は部長に個別に呼ばれ、「今回、対象に名前が入っている」と言われた。
② 制度としては「応募」であり、強制ではない。だが彼にとって、選択はこの時点で終わっていた。
③ この面談があったことを、彼は妻にも子にも、15年間言っていない。
2011年6月。四十八歳。
岡部 昭夫2011年6月・四十八歳(振り返っているのは2026年・六十三歳の私)
部長に呼ばれたのは、会議室ではなく、閉まっている食堂だった。昼をとうに過ぎていて、配膳台に布がかかっていた。あの布が青かったことを、私はいまだに覚えている。
「来週、募集が出る」
「はい」
「今回、対象に名前が入っている」
それだけだった。辞めろとは言われていない。応募しろとも言われていない。名前が入っている、という事実を伝えられただけである。
私は、分かりました、と言った。何が分かったのかは、そのとき自分でも整理できていない。ただ、この話をした部長が、私より二つ下だということだけが、やけにはっきりしていた。
📎 解説:この面談は、制度の外側にある
希望退職の募集は、制度としては会社が条件を示し、労働者が応募するかどうかを自分で決める仕組みである。応募しないことによる不利益な取扱いは想定されていない。つまり形式上、岡部には断る権利がある。
ただしこの面談は、その制度の枠の外で行われている。「対象に名前が入っている」という情報は、募集要項には書かれない。個別に、口頭で、記録の残らない場所で伝えられる。
この記事は、この面談を違法だとも不当だとも書かない。判断する材料が無いからである。会社が事前に本人に伝えること自体は、むしろ配慮として行われることもある。書けるのは、この面談があった後の「応募」が、面談が無かった場合の「応募」と同じ意味を持たないということだけである。
同じ週。数字を調べた。
2011年6月
家に帰って、退職金の試算表を出した。人事のイントラネットに、自分の勤続年数を入れると額が出る画面があった。それまで一度も開いたことがなかった。
定年まで勤めた場合と、今回応募した場合の、二つの数字が並んだ。下のほうが、四百万ほど多かった。
私はその画面を、しばらく見ていた。四百万は大きい。子どもは大学二年と高校二年で、これから一番かかる。四百万あれば、と思った。
十五年たった今なら言える。私はあのとき、四百万という数字だけを見て、その下に何が書いていないかを見なかった。あの画面には、退職金の額しか出ない。辞めたあと十七年、いくら稼ぐことになるかは、どこにも出ていない。
2,601万円
早期優遇退職の1人平均(1,000人以上・大卒管理職・勤続20年以上・45歳以上)
2,191万円
同・定年退職の場合
+410万円
早期優遇が定年退職を上回る額
17年
岡部が48歳から65歳までに働く予定だった年数
📎 解説:試算表に出る数字と、出ない数字
厚生労働省「令和5年就労条件総合調査」第37表によれば、従業員1,000人以上の企業で、大卒・管理職・勤続20年以上・45歳以上の退職者の1人平均退職給付額は、早期優遇退職で2,601万円、定年退職で2,191万円である。差は410万円。岡部が画面で見た「四百万ほど多い」は、統計の平均とほぼ一致している。
問題は、この試算表が比較の片側しか表示しないことである。表示されるのは退職給付額だけで、その退職金を受け取るまでに何年働くか、その間にいくら給与を受け取るかは、同じ画面に出てこない。
定年退職の2,191万円は、65歳まで働いた人が受け取る額である。早期優遇の2,601万円は、48歳で辞めた人が受け取る額である。この2つの数字は、同じ土俵に並べられていない。並んで表示されると、410万円の差だけが目に入る。
注: 上記の統計値は平均であって中央値ではなく、分布は本表からは読み取れない。また退職一時金と退職年金現価額の合計である。
妻には言わなかった。
2011年6月
妻には、募集が出たことだけを話した。名前が入っていると言われたことは、話していない。
理由は、そのときは自分でも分かっていなかった。今なら分かる。言えば、私が辞めるのは会社が決めたことになる。言わなければ、私が自分で決めたことになる。
私は、自分で決めたことにしたかった。四十八の男が家族に説明できる話は、そっちのほうだからである。
この十五年、私は何度も「自分から手を挙げた」と言ってきた。子どもにも言った。一度も嘘だとは思っていない。応募の書類を書いたのは、確かに私の手である。
📎 解説:この記事が追う「守っている誤解」
岡部が守っている誤解は「あれは自分で選んだ」である。この記事はそれを嘘だとは書かない。応募書類を書いたのは彼自身であり、制度上、彼には応募しない選択肢があった。その意味で、彼の言い分は正しい。
この記事が指摘するのは別のことである。「対象に名前が入っている」と言われた後の選択と、言われる前の選択は、同じ選択ではない。そして彼は、その違いを15年間、家族に説明していない。
このシリーズは同じ形を何度も扱っている。サラリーマン5の中村正巳は、転勤を断った一回が20年後の年収差になったことを家族に言っていない。サラリーマン7の高梨実は、7年続いた出向を「帳尻は合います」と言い続けた。言わないことによって、それがまだ確定していない状態に留め置ける。
岡部の場合、留め置いているのは「自分の人生の決定権が、どこにあったか」である。
制度としては、応募である。
面談があった時点で、選択は終わっていた。
その2つは矛盾しない。
締切は3週間後だった。岡部が書類を出したのは、前日である。
✍️ 2011年 — 締切の前日まで、書類を出さなかった
このセクションの3点
① 募集期間は3週間。岡部が応募書類を出したのは、締切の前日だった。
② 3週間、彼は毎日その封筒を鞄に入れて出勤し、毎日持ち帰っている。これが彼の「断れた一回」である。
③ 2011年、東京商工リサーチが把握した上場企業の早期・希望退職は、リーマン後のピークからは落ち着いていた。彼の会社の募集は、その中の1件である。
2011年6月末から7月中旬まで。三週間。
岡部 昭夫2011年6月末〜7月・四十八歳
募集要項が全社に配られた。応募期間は三週間。書式は一枚で、氏名と所属と、応募する旨の一文に丸をつけて、判を押すだけである。書くところは、ほとんど無い。
私はその紙を、初日に机の引き出しから出して、封筒に入れた。それを鞄に入れて帰った。翌朝、鞄に入れたまま出勤した。
それを三週間やった。毎朝、鞄の中にその封筒がある。昼に一度、思い出す。夕方に、今日も出さなかったな、と思う。三週間で二十一回、私は出さなかった。
当時の私は、迷っている、と思っていた。今の私には言える。迷っていたのではない。私は、出さないという選択肢がまだあることを、自分に確認していたのである。三週間、毎日それを確認して、最後に出した。
📎 解説:これがこの記事の「断れた一回」である
このシリーズは、各人物に「断れた一回」を1つ置いている。サラリーマン5の中村正巳は転勤を断り、20年後に約1億円の生涯賃金差になった。サラリーマン4の森康彦は断れた回を断らず、通算14年家にいなかった。サラリーマン12の藤井亮太は、削減対象への意見を求められて「本社が決めることです」と答えた。
岡部の「断れた一回」は、3週間のあいだ、毎日ずっとそこにあった。1回の面談でも1本の電話でもなく、21日間、鞄の中にあり続けた。
この形が他の人物と違うのは、本人が「断れる」と知りながら断らなかった時間の長さである。中村は3日で決めた。岡部は21日かけて、同じ結論に着いた。21日は、決断に要した時間ではない。決めた結論を受け入れるのに要した時間である。
2011年7月。締切の前日。
2011年7月・締切の前日
前日の夕方、人事の受付に持っていった。窓口の女性は私より若くて、受け取って、日付のスタンプを押して、控えを一枚くれた。それで終わりである。三十秒もかからなかった。
控えを持って自分の席に戻った。周りは普通に仕事をしていた。誰も何も聞かない。誰が出したかは、公表されない仕組みになっている。
その晩、妻に言った。手を挙げてきた、と言った。妻は、そう、と言って、少ししてから、退職金はいくらなの、と聞いた。私は数字を言った。妻は、それなら、と言った。それなら何なのかは、言わなかった。
📎 解説:「手を挙げてきた」という言い方
岡部はこの晩、初めて「手を挙げてきた」という表現を使っている。この言い方を、彼はこの先15年、繰り返し使うことになる。
この表現は正確である。応募制度において、書類を出す行為は本人の意思表示であり、実際に彼は自分の手で判を押した。会社は彼を解雇していない。記録の上でも、彼の退職事由は「早期優遇退職」であって「解雇」ではない。
そしてこの区別は、退職金の額に直結する。厚生労働省「令和5年就労条件総合調査」第37表では、1,000人以上規模・大卒管理職・勤続20年以上・45歳以上の1人平均退職給付額は、早期優遇退職2,601万円に対して、自己都合退職は1,928万円である。差は673万円。「自分から辞めた」ことにするかどうかで、673万円が動く制度になっている。
岡部が「手を挙げてきた」と言うとき、そこには2つの意味が重なっている。制度上の事実と、彼が家族に対して守りたかった話の形である。この記事は、その2つを分けて書くが、どちらかを嘘だとは書かない。
2011年9月末。最終出社。
2011年9月・最終出社の日
送別会があった。二十六年いた。課長までは行った。部の全員が来てくれて、色紙をもらった。色紙には、お疲れさまでした、と、第二の人生を、という言葉が多かった。
私は挨拶で、自分で決めたことです、と言った。そのとき、食堂の青い布のことが一瞬だけ浮かんだ。浮かんだが、そのまま話を続けた。
帰りに、通用門で守衛さんに挨拶した。二十六年、毎朝ここを通っている。守衛さんは、お疲れさまでした、と言った。名前は呼ばれなかった。名前で呼ばれる関係ではなかったからで、それは前からそうである。
あの日から十五年、私は自分で決めたと言い続けている。今もそう言う。ただ、四十八の私がなぜ三週間出さなかったのかは、いまだに家族の誰にも話していない。
📎 解説:2011年という年に、何社が募集していたか
東京商工リサーチの集計では、上場企業の早期・希望退職の募集は、2009年に191社・22,950人でピークを打っている(リーマン・ショックの翌年で、TSRの集計では2000年以降で最多)。翌2010年は85社まで減っている。
岡部が応募した2011年は、この落ち着いた後の年にあたる。つまり彼の会社の募集は、業界全体が一斉に人を減らしていた局面のものではない。その分、社内では「なぜ今なのか」という説明が求められる募集だった。
注: この集計は上場企業かつ適時開示等で募集内容が確認できたものに限られ、非上場企業・中小企業の早期退職は含まれない。また2009年・2010年の数値は東京商工リサーチの原資料そのものではなく、同社データを引用した記事経由の二次情報であり、本記事では原資料での再確認に至っていない。2011年単年の社数・人数は本記事では未取得である。
三週間で二十一回、彼は出さなかった。
二十二回目に、出した。
48歳の求職が始まる。統計の上では、48歳は転職で賃金が上がる側の年齢である。
🔍 2011-2012 — 48歳の求職。平均では上がる年齢だった
このセクションの3点
① 厚生労働省「令和6年雇用動向調査」では、45〜49歳男性の転職で賃金が増加した人は46.4%、減少は23.8%。増加が22.6ポイント上回る。
② 48歳は、統計の上では転職で賃金が上がる側の年齢である。岡部の年収は850万円から430万円になった。
③ 平均は個人を説明しない。この記事はそれを、この章で3度目に確認する。
| 年齢階級(男性) | 賃金が増加 | 賃金が減少 | 増加-減少 |
|---|---|---|---|
| 45〜49歳 | 46.4% | 23.8% | +22.6pt |
| 50〜54歳 | 39.0% | 28.2% | +10.8pt |
| 55〜59歳 | 27.4% | 36.6% | −9.2pt(ここで逆転する) |
| 60〜64歳 | 13.6% | 60.9% | −47.3pt |
📎 解説:転職で得をするのは54歳までである
厚生労働省「令和6年雇用動向調査結果の概況」表6によれば、男性の転職入職者のうち前職より賃金が増加した人の割合は、45〜49歳で46.4%、減少が23.8%。増加が22.6ポイント上回る。50〜54歳では差が+10.8ポイントに縮み、55〜59歳で減少36.6%が増加27.4%を上回って逆転する(−9.2ポイント)。60〜64歳では−47.3ポイントになる。
転職によって賃金が上がる確率が高いのは、統計の上では54歳までである。岡部が会社を出た48歳は、その内側にある。しかも最も条件のいい年齢階級にあたる。
それでも彼の年収は、850万円から430万円になった。ほぼ半減である。
注: この数値は令和6年(2024年)の調査値であり、岡部が転職した2011年当時の値ではない。本記事では2011年時点の同一の統計表を取得できていない。また調査対象は5人以上の常用労働者を雇用する事業所で、前職・現職とも雇用者である転職者に限られる。増加/減少の割合であり、減少幅の円額や転職後の絶対年収水準はこの表からは分からない。
2011年10月から2012年3月まで。半年。
岡部 昭夫2011年10月・四十八歳(振り返っているのは2026年・六十三歳の私)
辞めた翌週から動いた。転職の登録サイトに三つ登録して、職務経歴書を書いた。書き始めて、手が止まった。
二十六年ぶんを書くのだから、書くことは山ほどある。ところが、書けることが少ない。私がやってきたのは、部の予算を組んで、月次で数字を追って、部下十二人の評価をつけて、上に説明することである。それを他所の会社の人が読んで、何が分かるのか。
製品を作った人は、その製品を書ける。特許を取った人は、番号を書ける。私が二十六年でいちばん時間を使ったのは、社内の合意を取る作業だった。あれは、うちの会社の中でしか意味の無い技能である。
当時の私には言えなかった。今なら言える。私が売ろうとしていたのは、二十六年かけて一社にだけ最適化した能力だった。買い手が一人しかいない商品を、その一人から離れたところで売ろうとしていたのである。
📎 解説:企業特殊的技能という言葉
労働経済学では、技能を大きく2つに分ける。どの会社でも通用する一般的技能と、その会社でしか価値を持たない企業特殊的技能である。
日本の大企業の長期雇用は、後者を厚く育てる仕組みとして機能してきた。社内の意思決定の流れ、誰に先に話を通すか、どの部署が何を握っているか。これらは在籍が長いほど蓄積し、そして退職した瞬間に価値がゼロになる。
岡部が45歳で課長になったこと自体は、社内で評価されていた証拠である。その評価を作った能力の一部が、社外に持ち出せない種類のものだった。この構造は本人の努力不足ではなく、長期雇用を前提にした技能形成の設計に由来する。
注: 岡部個人の職務経歴が転職市場でどう評価されたかの記録は存在しない。ここに書いたのは、一般的な技能の分類に照らした解釈であって、実測ではない。
2012年1月。応募と面接。
2012年1月・四十八歳
年が明けて、三ヶ月が過ぎていた。応募したのは四十社を超えていたと思う。面接まで行ったのが六社。そのうち四社で、同じことを聞かれた。
「前職ではマネジメントということですが、うちは規模が小さいので、ご自身で動いていただくことになります」
できます、と答えた。実際できると思っていた。先方が確認したかったのは、能力ではなく、私がそれを不服に思わないかどうかである。それに気づいたのは、四社目のときだった。
三月に、いまの会社から連絡が来た。従業員八十人の部品商社である。提示は四百三十万だった。前の年の私の年収は八百五十万である。
私は、その場で受けた。持ち帰って考えます、と言わなかった。半年、無職だった。子どもは大学二年と高校二年である。
850万円
2011年・退職時の年収
430万円
2012年・再就職後の年収(約49%)
6ヶ月
無職だった期間
+22.6pt
45〜49歳男性の転職で賃金増加が減少を上回る幅(2024年調査)
📎 解説:この章が3度目に置く「平均は個人を説明しない」
統計の上では、45〜49歳の転職者の46.4%が賃金を増やしている。岡部は増やさなかった側の23.8%に入った。しかも「1割以上減少」(16.5%)にあたる、半減という減り方である。
このシリーズは、同じ形をすでに2度書いている。サラリーマン14の大野修は、大卒求人倍率1.08倍——計算上は全員分の求人がある年——に37社受けて内定ゼロだった。サラリーマン12の藤井亮太は、同じ年に22社受けて1社通った。倍率は世代の条件を示すが、個人の結果を説明しない。
今回もそれと同じである。「48歳の転職は平均では賃金が上がる」という統計は、48歳の岡部が上がることを何も保証しない。平均が示すのは分布の位置であって、その分布のどこに自分が落ちるかは、事前には分からない。
そして早期退職に応募するかどうかを決める場面で、人が参照できるのは平均だけである。自分がどこに落ちるかを知る方法は、退職してみる以外に無い。
統計の上では、48歳は転職で得をする年齢だった。
岡部昭夫は、850万円から430万円になった。
どちらも事実である。
この年収で、上の子は大学2年、下の子は高校2年だった。
📉 2012-2020 — 年収430万円と、教育費のピーク
このセクションの3点
① 2012年、49歳。従業員80人の部品商社に入る。年収430万円。課長という肩書きは無い。
② 上の子が大学2年、下の子が高校2年。教育費のピークと、年収が半減した年が重なっている。
③ 2020年、57歳で440万円。8年で10万円しか動いていない。年功で上がる仕組みの外に出るとは、こういうことである。
2012年4月。四十九歳。入社初日。
岡部 昭夫2012年4月・四十九歳(振り返っているのは2026年・六十三歳の私)
会社は雑居ビルの三階と四階だった。事務所に入ると机が十二あって、そのうち一つが私の席だった。島の端で、コピー機の隣である。
朝礼で紹介された。前職を言われて、東亜電機さんですか、と何人かが言った。それきりである。そのあと誰も、私の前職の話をしなかった。気を遣われたのだと思う。
最初の仕事は、在庫の棚卸しの表を直すことだった。エクセルの表で、式が壊れていた。直した。二時間で終わった。
二時間で終わって、次に何をすればいいか分からなかった。前の会社では、次に何をするかは自分で決めていた。正確に言うと、決める立場だった。ここでは、聞きに行く立場である。
📎 解説:肩書きが消えるということ
岡部は前職で課長だった。部下は12人で、部の予算を組み、月次で数字を追い、評価をつけていた。再就職先での職位は、課長待遇ではない。従業員80人の会社に、部長と課長は数えるほどしかいない。
ここで失われたのは肩書きそのものよりも、肩書きに付いていた仕事の種類である。管理職の仕事は「決めること」と「人に配ること」で構成されるが、その2つは組織の規模と自分の位置に依存する。規模が20分の1になり、位置が下がれば、同じ仕事は存在しない。
これは降格ではない。前職の職位は退職した時点で消えており、新しい会社での位置は新しく決まる。ただし本人の側では、26年かけて身につけた仕事の型が、そのまま持ち込めない状態になる。
同じ年。家計。
| 西暦 | 岡部の年収 | 上の子 | 下の子 | 出費の状況 |
|---|---|---|---|---|
| 2011 | 850万円 →(退職) | 大学1年 | 高校1年 | 受取 約2,600万円 |
| 2012 | 430万円 | 大学2年 | 高校2年 | 年収が半減した年 |
| 2013 | 430万円 | 大学3年 | 高校3年 | 下の子の受験 |
| 2014 | 430万円 | 大学4年 | 大学1年 | 2人同時に大学 |
| 2020 | 440万円 | — | — | 8年で+10万円 |
📎 解説:年収が半減した年が、教育費のピークと重なっている
2014年、岡部の子は大学4年と大学1年で、2人が同時に大学に在籍している。この年の岡部の年収は430万円である。
早期退職の募集は、企業の側の事情(業績・人員構成・年齢構成)で時期が決まる。応募する個人の家計の状況とは無関係に出る。岡部が48歳だったということは、日本の平均的な晩婚・晩産の傾向を踏まえれば、子の教育費が最も重い時期と重なりやすい年齢でもある。
受け取った約2,600万円は、この時期の生活費と教育費に充てられている。退職金は老後の資産として温存されず、年収の減少分を埋めるために先に使われた。これは岡部の家計管理の問題ではなく、48歳で年収が半減すれば構造的にそうなる。
注: 岡部家の実際の教育費支出額および貯蓄の推移は本記事では未取得である。ここに書いたのは年収と子の学年の対応関係のみである。
2015年から2020年。五十二歳から五十七歳。
2015-2020年
仕事は覚えた。得意先は三十社ほど回っていて、そのうち何社かは私が取ってきた。数字は出している。社長にも言われた。
ただ、給料は動かない。四百三十万で入って、五年で四百四十万になった。十万である。
一度、社長に聞いたことがある。うちは昇給の表が無いんですよ、と言われた。責めるつもりで聞いたのではないし、社長も悪びれてはいなかった。八十人の会社に、等級と号俸の表を作る理由が無い。
当時の私には言えなかった。今の私には言える。私が前の会社で毎年もらっていた昇給は、私の働きに対する評価ではなかった。あれは、あの会社にその表があったから出ていた金である。同じ働きをしても、表の無いところでは出ない。
📎 解説:8年で10万円という数字が意味すること
2012年に430万円で入り、2020年に440万円。8年で10万円、率にして2.3%である。年あたりに直すとおよそ0.3%になる。
参考として、このシリーズが扱ってきた大企業の年功の動きを並べる。藤井亮太は課長になった2016年に790万円で、2026年に860万円。10年で70万円(8.9%)である。役職は変わっていないので、これがほぼ定期昇給分にあたる。
岡部が失ったのは、年収の水準(850万円→430万円)だけではない。年収が毎年上がっていく仕組みそのものである。水準の差は初年度で確定するが、仕組みの差はその後の年数だけ複利で開いていく。
注: 岡部の勤務先の賃金制度の詳細は本記事では未確定である。「昇給表が無い」は本人の説明に基づく。
430万円
2012年・入社時の年収
440万円
2020年・8年後の年収
+10万円
8年間の上昇額(年あたり約0.3%)
約49%
2011年の年収850万円に対する水準
年収が半減した年に、子は大学2年と高校2年だった。
受け取った2,600万円は、老後にではなく、この時期に使われた。
そして2026年、63歳。彼はまだ同じ会社にいて、まだ同じことを言っている。
📍 2026年8月・63歳 — まだ「自分で選んだ」と言っている
このセクションの3点
① 2026年8月現在63歳。同じ部品商社に14年目。年収410万円で、2020年の440万円から下がっている。
② 65歳以降の再雇用があるかどうかは決まっていない。従業員80人の会社に、制度として明文化されたものが無い。
③ 15年たって、彼はまだ「自分で決めた」と言う。この記事は、それを嘘だとは書かない。
2026年8月。六十三歳。
岡部 昭夫2026年8月・六十三歳
朝は七時に出る。電車で四十分、雑居ビルの三階に着く。十四年、同じ席である。コピー機の隣ではなくなった。人が減って、島の真ん中が空いたからである。
年収は四百十万になった。四年前より三十万下がっている。得意先を若い人に引き継いだ分、歩合が減った。引き継いでくれと言われたので引き継いだ。それは正しい判断だと思う。
六十五から先のことは、まだ何も言われていない。八十人の会社に、再雇用の規程は無い。社長が続けてくれと言えば続くし、言わなければ終わる。それだけの話である。
妻は去年からパートに出ている。子どもは二人とも出て行った。下の子が去年結婚して、式で挨拶をした。私はそこで、四十八のときに自分で決めて会社を移った、という話をした。
📎 解説:65歳以降について、制度上どうなっているか
高年齢者雇用安定法により、企業には65歳までの雇用確保措置(定年の引き上げ・継続雇用制度の導入・定年廃止のいずれか)を講じることが義務づけられている。70歳までについては、就業機会を確保する措置が努力義務とされている。(条文の細部は本記事では未確認のため、制度の骨格として範囲を限定して書く。)
義務があるのは「65歳まで」の部分である。岡部はいま63歳なので、65歳までの雇用は制度上確保される。その先は努力義務にあたる。
サラリーマン12の藤井亮太は、65歳定年のあと再雇用で70歳まで働く見込みで、通算48年になる計算である。大企業には再雇用の規程と給与テーブルがあり、金額が事前に分かる。岡部の勤務先にそれがあるかどうかは、本記事では未確定である。
注: 岡部の勤務先の就業規則・退職金制度・再雇用規程の有無は確認できていない。第11章の試算が動く要因の1つがここにある。
下の子の結婚式で、彼が話したこと
2025年・六十二歳
挨拶で、こういう話をした。父さんは四十八のときに会社を移った。自分で決めたことだ。給料は下がったが、後悔はしていない。おまえたちの学費は、ちゃんと出した。
本当のことである。学費は出した。二人とも大学を出した。あの二千六百万は、そこに使った。
言わなかったのは、あの食堂のことだけである。青い布のかかった配膳台の前で、二つ下の部長に、名前が入っていると言われたこと。あれを言うと、話の形が変わる。
式の帰り、妻が、いい挨拶だったね、と言った。私は、そうか、と答えた。十五年、私はこの話をこの形でしか語っていない。
📎 解説:「自分で決めた」は、まだ壊れていない
15年たって、岡部の説明は変わっていない。そしてこの記事は、その説明を嘘だとは書かない。制度上、応募したのは彼であり、会社は彼を解雇していない。学費を出したのも事実である。
この記事が指摘するのは、この説明が15年間、一度も検証されていないことである。検証するには、面談が無かった場合に彼が応募したかどうかを知る必要がある。それは本人にも分からない。
このシリーズは同じ形を繰り返し書いてきた。藤井亮太は「自分は選ばれた」という前提を30年検証していない。高梨実は「誰も自分を辞めさせていない」と言い続けた。中村正巳は転勤を断った一回を家族に言っていない。
共通しているのは、どれも嘘ではないことである。制度上・事実上、全員の言い分が正しい。正しいまま、本人が最も知りたいことだけが確かめられない構造になっている。
| 2011年(48歳・退職時) | 2026年(63歳・現在) | |
|---|---|---|
| 年収 | 850万円 | 410万円(約48%) |
| 職位 | 課長・部下12人 | 営業。役職なし |
| 会社の規模 | 従業員1,000人以上 | 従業員80人 |
| この先 | 17年働く予定だった | 65歳まで2年。その先は未定 |
| 本人の説明 | 「自分で決めたことです」 | 「自分で決めたことです」 |
十五年、彼は同じ一文を使い続けている。
その一文は正しい。正しいことと、確かめられたことは、同じではない。
次の章で、応募しなかった場合と応募した場合を、式で並べて計算する。
🧮 計算 — 応募しなかった場合と、応募した場合を式で並べる
このセクションの3点
① 前提を置いた試算で、A案(2011年に応募せず65歳まで勤務)の生涯合計は約1億4,341万円、B案(実際に2011年に応募)の合計は約9,000万円。差は約5,300万円になる
② 割増410万円と引き換えに、岡部が手放した額は410万円をはるかに超えている
③ ただしこの試算には前提がある。A案は「65歳まで在籍できたら」という仮定であり、B案は「再就職先に退職金制度が無い」という仮定を含む。前提が変われば結果は動く
A案 — 2011年に応募せず、65歳まで勤めた場合
📎 式1:48〜54歳(7年間)の給与
2011年の年収850万円がそのまま続いたと仮定する。
850万円 × 7年 = 5,950万円
📎 式2:55〜64歳(10年間)の給与 — 役職定年後
サラリーマン12(藤井亮太)の記事で確認した制度前提を使う。55歳で役職定年となり、年収は620万円に下がる見込みとする。
620万円 × 10年 = 6,200万円
📎 式3:65歳での定年退職金
厚生労働省「令和5年就労条件総合調査」第37表・1,000人以上企業・大卒管理職・勤続20年以上の定年退職者の1人平均退職給付額を使う。
2,191万円
| 項目 | 式 | 金額 |
|---|---|---|
| 48〜54歳の給与 | 850万円 × 7年 | 5,950万円 |
| 55〜64歳の給与 | 620万円 × 10年 | 6,200万円 |
| 65歳の定年退職金 | (厚労省統計) | 2,191万円 |
| A案 合計 | 5,950 + 6,200 + 2,191 | 約1億4,341万円 |
B案 — 実際(2011年に応募した場合)
📎 式4:希望退職の受取額
約2,600万円(厚労省統計・1,000人以上企業の早期優遇退職給付額2,601万円に一致させてある)
📎 式5:2012〜2026年(15年間)の給与
年収表(Section 3)の430万円・440万円・410万円という3つの実績値をもとに概算する。
430万円 × 12年 + 440万円 × 2年 + 410万円 × 1年 = 5,160万円 + 880万円 + 410万円 = 約6,400万円
| 項目 | 式 | 金額 |
|---|---|---|
| 希望退職の受取額 | (厚労省統計に一致させた額) | 2,600万円 |
| 2012〜2026年の給与 | 430×12 + 440×2 + 410×1 | 約6,400万円 |
| B案 合計 | 2,600 + 6,400 | 約9,000万円 |
差は約5,300万円(1億4,341万円 − 9,000万円)。割増で得た410万円は、この差の8%にも満たない。
岡部が守っている誤解は「あれは自分で選んだ」である。選んだのは事実である。しかし何を選んだのかは、この計算をするまで彼自身も見ていなかった。
この計算が前提としていること
🚫 前提が崩れれば、この5,300万円は動く
・応募しなかった場合に65歳まで在籍できたという保証は無い。A案は「制度通りに勤め上げられたら」という仮定にすぎない。会社の業績や本人の健康・意欲によって、この前提自体が成立しない可能性もある
・岡部の再就職先(部品商社・従業員80人)に退職金制度があるかどうかは、本記事では未確定である。制度があればB案の合計はさらに増え、差は縮まる。制度が無ければ差はこのままか、さらに広がる
・役職定年での減額幅(620万円という数字自体)や、商社での在籍年数が変われば、A案・B案双方の数字は変わる。この試算は「1つの前提の組み合わせ」であり、唯一の正解ではない
この計算の意味は単純である。割増で得たのは410万円である。手放したのは、それを大きく上回る額である。
ただし、これは「早期退職を選んだのは間違いだった」という結論ではない。応募しなかった場合に65歳まで在籍できたという保証は無い。会社が先に岡部を対象から外さなかったとも限らないし、健康を損なった可能性もある。この試算はあくまで「同じ会社に残れたら」という前提の上に立っている。
→ 次のSection 12では、同じ1985年入社の高梨実と、早く降りた男・遅く降ろされた男の対比を見る。
🔀 高梨実との対比 — 早く降りた男と、遅く降ろされた男
このセクションの3点
① 岡部昭夫と高梨実は、同じ1985年に東亜電機へ入社した。同期1,180人。どちらも課長まで行き、次長には届いていない。
② 岡部は2011年に48歳で応募して降りた。高梨は残り、2015年に53歳で自己都合退職した。
③ 2人とも定年に着いていない。降り方が違うだけである。そして退職金の額は、その降り方で673万円変わる。
📎 解説:なぜこの2人を並べるか
2人の年表を並べる
| 西暦 | 岡部 昭夫(この記事) | 高梨 実(<a href="/wiki/salaryman-life-7">#7</a>) |
|---|---|---|
| 1985 | 東亜電機に入社。同期1,180人 | 同じ年に入社。同期 |
| 2008 | 45歳で課長 | 10月、月次の締めで数字が合わなくなる |
| 2009 | 課長として在籍 | 3ヶ月休職。制度は全部あった |
| 2010 | 課長として在籍 | 復職。ただし戻る席が無かった |
| 2011 | 48歳。希望退職に応募して退職 | 期限の書かれない出向が始まっている |
| 2012 | 部品商社へ。年収430万円 | 出向2年目 |
| 2015 | 商社3年目 | 53歳で自己都合退職 |
| 2026 | 63歳・年収410万円 | 63歳・週4日勤務 |
退職金は、降り方で673万円変わる
| 退職事由 | 1人平均退職給付額(1,000人以上) | 該当する人物 |
|---|---|---|
| 早期優遇退職 | 2,601万円 | 岡部昭夫(2011年・48歳) |
| 定年退職 | 2,191万円 | 田村稔・柴田正三ら |
| 自己都合退職 | 1,928万円 | 高梨実(2015年・53歳) |
| 早期優遇 - 自己都合 | +673万円 | 同じ会社を辞めるのに、事由の名前で変わる幅 |
📎 解説:673万円は、何に対する差額か
厚生労働省「令和5年就労条件総合調査」第37表によれば、従業員1,000人以上の企業で大卒・管理職・勤続20年以上・45歳以上の1人平均退職給付額は、早期優遇退職2,601万円、定年退職2,191万円、自己都合退職1,928万円である。
岡部と高梨は、同じ会社に同じ年に入り、同じ課長で止まり、どちらも定年前に辞めた。それでも退職事由の区分が違うため、統計の平均で見れば673万円の差がつく。
この差は、貢献の差でも勤続年数の差でもない。会社が募集を出したタイミングに手を挙げたかどうか、という一点である。高梨が辞めた2015年に募集は出ていない。出ていれば、彼も同じ区分で降りられた可能性がある。
注: これは統計の平均値であり、岡部・高梨それぞれの実際の受給額とは異なる。また平均であって中央値ではなく、分布は本表から読み取れない。高梨の実際の退職金額はサラリーマン7を参照のこと。
2人が使っている言葉
| 岡部 昭夫 | 高梨 実 | |
|---|---|---|
| 本人の説明 | 「自分で決めたことです」 | 「帳尻は合います」 |
| 家族に言っていないこと | 応募の1週間前に「対象に名前が入っている」と言われていたこと | 7年の出向に期限が書かれていなかったこと |
| 守っている誤解 | あれは自分で選んだ | 誰も自分を辞めさせていない |
| 制度上、その言い分は | 正しい(応募書類を出したのは本人) | 正しい(解雇されていない) |
| この記事が指摘すること | 面談の後の選択は、面談の前の選択と同じではない | 期限の書かれない状態が7年続くことは、辞めさせることに近い |
📎 解説:2人は同じ構造の、別の出口にいる
岡部と高梨に共通しているのは、どちらも「自分の意思で辞めた」という形式が成立していることである。会社は岡部を解雇していないし、高梨を解雇していない。書類の上では、2人とも自分から辞めている。
そして2人とも、そこに至る過程で決定的だった出来事を、家族に話していない。岡部は面談を、高梨は出向の期限が書かれていなかったことを。
言わないでいるかぎり、その出来事は自分の人生の説明に入ってこない。入ってこなければ、2人とも「自分で決めた人」でいられる。
この記事は、それを弱さだとは書かない。48歳や53歳で、家族を養いながら「自分は選ばれなかった」と言葉にすることの負荷は、この記事が測れる範囲を超えている。
1,180人
2人が入社した1985年の同期の人数
2人
そのうちこのシリーズが書いた人数
0人
そのうち定年に着いた人数
673万円
早期優遇と自己都合の退職給付の平均差(1,000人以上規模)
岡部は48歳で降りた。高梨は53歳で降ろされた。
どちらの書類にも、本人の判が押してある。
最後に、この記事が扱ってきた410万円という数字を、もう一度別の角度から見る。
🔪 辛口批評 — 応募した人がどうなったかを、日本は統計として持っていない
このセクションの3点
① 割増410万円は「上乗せ」ではなく、17年を買い取る値段だった。名前が上乗せなので、そう見えない。
② 48歳は統計上、転職で賃金が上がる年齢である。それでも岡部は半減した。平均は個人を説明しない。
③ そして最大の問題は、早期退職に応募した人のその後を追跡した公的統計が存在しないことである。毎年1万人前後がこの判断をしているのに、社会はその結果を持っていない。
① 「割増」という名前が、比較の形をゆがめている
📎 批評:410万円は上乗せではなく、17年の値段である
早期優遇退職の退職給付額は、定年退職を410万円上回る(厚労省 令和5年就労条件総合調査 第37表・1,000人以上規模)。この410万円は制度上「割増」と呼ばれ、応募を促す条件として提示される。
この呼び方が、比較の形をゆがめている。「割増」という言葉は、同じものに上乗せがある状態を指す。しかし実際に比べられている2つは同じものではない。
定年退職の2,191万円は「65歳まで働いた人」が受け取る額であり、早期優遇の2,601万円は「48歳で辞める人」が受け取る額である。前者には17年分の給与が付属し、後者には付属しない。410万円は、その17年分を放棄する対価として提示されている。
そして人事の試算画面には、退職金の額しか表示されない。放棄する側の金額が、同じ画面に出てこない。これは誰かが隠しているのではなく、退職金の試算システムが退職金を計算する道具だからである。比較に必要な情報の半分が、構造的に画面の外にある。
| 定年まで勤めた場合 | 48歳で応募した場合 | |
|---|---|---|
| 退職給付額(統計平均) | 2,191万円 | 2,601万円(+410万円) |
| 付属する給与 | 48〜64歳の17年分 | なし |
| 試算画面に表示されるもの | 退職金の額のみ | 退職金の額のみ |
| 表示されないもの | 17年分の給与 | 再就職後の年収 |
② 平均は、個人を説明しない(このシリーズで3度目)
📎 批評:48歳は「上がる年齢」だった。それでも半減した
厚生労働省「令和6年雇用動向調査」表6によれば、45〜49歳男性の転職入職者のうち賃金が増加した人は46.4%、減少は23.8%で、増加が22.6ポイント上回る。55〜59歳で初めて減少が増加を逆転する(−9.2ポイント)。統計の上で、転職が賃金の面で有利なのは54歳までである。
岡部が辞めたのは48歳で、この最も条件のいい階級に入っている。それでも年収は850万円から430万円になった。
このシリーズはこの形を3度書いている。大野修は求人倍率1.08倍の年に37社受けて内定ゼロ、藤井亮太は同じ年に22社受けて1社通った。集計値は集団の条件を示すが、そこから個人の結果は出てこない。
そして早期退職の判断をする場面で、人が参照できるのは平均だけである。自分が分布のどこに落ちるかを知る方法は、辞めてみる以外に無い。この非対称が、この制度の本質的な難しさである。
注: 上記は令和6年(2024年)の調査値であり、岡部が転職した2011年の値ではない。本記事では2011年時点の同一統計表を取得できていない。
③ この記事が最後に置く問題
📎 批評:判断の結果を、社会が検証していない
厚生労働省「雇用動向調査」も総務省「労働力調査」も横断調査であり、毎回別のサンプルに対して行われる。特定の個人を何年も追いかけるパネル調査ではない。したがって「2011年に早期退職に応募した人の、2026年の状態」を示す公的な数字が存在しない。
民間の再就職支援会社が公表する「支援により8割近くが再就職に成功」といった数値はある。ただしこれは自社の支援を受けた人を自社が集計したものであり、出典としては「当社調べ」に類する。このシリーズはそうした数値を基軸にしない。再就職支援の契約に至らなかった人、支援期間が終わった後に離職した人が、その分母に入っているかどうかが分からないからである。
企業側の追跡はある。早期退職を実施した企業のその後の業績や時価総額を分析した記事は複数存在する。減らした側の成果は測られていて、減った側の行き先は測られていない。
注: これは公的統計・主要な調査を中心に確認した結果であり、学術研究(労働経済学分野のパネル調査等)まで悉皆的に当たった結論ではない。慶應義塾家計パネル調査のような学術パネルに部分的なデータが含まれている可能性は残る。
10,009人
2024年に上場企業が募集した早期・希望退職の対象人数(東京商工リサーチ)
22,950人
2009年・リーマン後のピーク(同・191社)
0件
応募者のその後を追跡した公的パネル統計(本記事の調査範囲で)
15年
岡部が「自分で決めた」と言い続けている年数
📎 なぜ、これが批評として最も重いのか
岡部が2011年に見ることができた情報は、退職金の試算額だけだった。「自分と同じ条件で辞めた人が、5年後10年後にどうなっているか」を示すデータは、当時も今も公開されていない。
つまり彼は、結果の分布が分からない賭けを、48歳のときに一度だけ行った。そして分布が分からない以上、彼の判断が悪かったのかどうかも、この記事は判定できない。判定に必要なデータが、社会の側に無いからである。
東京商工リサーチの集計では、上場企業だけで2024年に57社・10,009人が募集の対象になっている。2009年には191社・22,950人だった。非上場と中小企業を含めれば、実数はこれを上回る。
その全員が、岡部と同じ情報量で判断している。この記事が最後に置くのは、岡部の判断への評価ではない。判断材料が用意されていない、という制度の側の空白である。
注: 東京商工リサーチの集計は上場企業かつ適時開示等で募集内容が確認できたものに限られる。2009年の数値は原資料そのものではなく、同社データを引用した記事経由の二次情報である。
④ 16人分の物差しに、岡部を並べる
| 人物 | 入社/卒業 | 降り方 | 生涯賃金または現時点の累計 |
|---|---|---|---|
| 北原誠一 | 1970年 | 取締役 → 子会社社長 | 約4億9,000万円 |
| 森康彦 | 1980年 | 部長で定年 | 約2億9,600万円 |
| 田村稔 | 1970年 | 次長で定年(43年) | 約2億1,400万円 |
| 高梨実 | 1985年 | 53歳で自己都合退職 | 約1億9,800万円 |
| 宮田徹 | 1988年 | 55歳で在職死亡 | 約1億6,200万円 |
| 柴田正三 | 1958年 | 係長のまま定年 | 約1億4,900万円 |
| 藤井亮太 | 1996年 | 課長。2029年に役職定年 | 約1億2,600万円(52歳時点) |
| 岡部昭夫(この記事) | 1985年 | 48歳で希望退職に応募 | 約9,000万円(前提つき試算) |
| 大野修 | 1996年(卒業) | 正社員になったことがない | 約7,900万円(52歳時点) |
📎 岡部の位置
割増は410万円だった。
それが17年の値段だったことは、どの書類にも書いていない。
そして辞めた人がどうなったかを、日本は数えていない。
このシリーズは続く。残るのは転職型・詰まり型・公務員型、そしてこの表に一人もいない女性たちである。